明日の文学フリマに出品します

友達のしーなさんたちによる同人小説誌「突き抜け派」のブースに自分の本を置かせて頂くことになりました。自分でブースをおさえたことなく、3回目の出品となる今回も他人頼みです。すみません。しかも、持参するのは以前売ったのと同じ『土佐有明WORKS1999−2008』です。あとは、アルゼンチンコンピとかポツドールの公式パンフも少しだけ持って行くつもりです。買わなくてもいいのでふらっと立ち寄ってみてください。米光さんのところとか、アラザルとか、知り合いのブースを覗くのも楽しみ。

http://d.hatena.ne.jp/shiinaneko/

読んだ


おおきく振りかぶって(14) (アフタヌーンKC)

おおきく振りかぶって(14) (アフタヌーンKC)

モテキ 3 (イブニングKC)

モテキ 3 (イブニングKC)

snoozer ( スヌーザー ) 2010年 06月号 [雑誌]

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猛スピードで母は (文春文庫)

猛スピードで母は (文春文庫)

結婚失格

結婚失格

からだ・演劇・教育 (岩波新書)

からだ・演劇・教育 (岩波新書)

フリーターにとって「自由」とは何か

フリーターにとって「自由」とは何か

ウィルコのライヴ

いやー、最高でした。ネルス・クラインがこのステージに立っている、というだけで感慨深いというのに。もう、すべてが絶妙。大体、演奏がうまい、楽器がうまいってああいうことを言うんでしょ!? 違うの? ライヴ・レポートの依頼などはありませんが、頼まれなくても何か書くと思います。これで7000円なら安いもんですよ。というわけで、景気づけに『スタジオ・ボイス』に以前書いた原稿アップしときます。他には、『ヒアホン』にネルスについて1万字書いてるのと、ドラマーのグレン・コッツェのユニット、オン・フィルモアのライナーを書いてます。こっちもいいよー。

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 『ヤンキー・ホテル・フォックストロット』でジム・オルークをプロデューサーに抜擢したことが、音響的配慮に富む現路線への布石となったのは確かだろう。だが、04年の『ゴースト・イズ・ボーン』制作中にパット・サンソーン(key)と共に加入したギタリスト、ネルス・クラインの貢献度の高さについては、もう少し仔細な検証がなされるべきではないだろうか。というのも、ウィルコの新作『ウィルコ(ジ・アルバム)』における空間的な深みとふくらみを増した立体的な音像は、明らかにネルスあってのもの、だからだ。
 バンド加入後の初音源となるライヴ盤『キッキング・テレヴィジョン』、続くスタジオ盤『スカイ・ブルー・スカイ』で、ネルスは饒舌で多弁的なソロを聴かせ、結果、一部の古参ファンから顰蹙を買ったという。確かに、「21世紀のザ・バンド」なる評言で絶賛されていたウィルコにあって、即興畑出身の(と、一般的にはされる)彼の存在は、良くも悪くも異物だった。良くも、といま書いたのは、ヴォーカル/ソングライターのジェフ・トゥイーディーにとってのネルス起用は、異物が紛れ込むことで起こる化学反応、つまりある種の異化作用を狙ってのことだったに違いなく、だとすれば両者の思惑は一致していたはずだからだ。それは、ライヴのサポート・ギタリストに内橋和久を起用した日本のくるりと、意識/サウンドの両面でシンクロを見せていたように思う。
 新作におけるジェフの楽曲は下手な捻りがなく、シンプルな骨格のみで成り立っている。希代のメロディストとして知られるジェフはしかし、旋律や和声を複雑化させることなく、音響的なくすみや曇りやざらつき、残響や歪みのヴァリエーションを増やすことによって、聴き手に遠近感や奥行きを意識させる手法をあえて選択したのだろう。特に、オン・フィルモアでの実験が本格的にフィードバックされ始めたのか、グレン・コッツェのクラウト・ロック的でもある硬質なスネア、低音を極端に強調した重厚なタムの音色は強烈な余韻を残す。そして、その背後でネルスが茫洋としたノイズを淡々と敷き詰めることで、音像は一挙に多層的かつ重層的な色彩を帯び始める。と同時に、スティーヴン・スティルスデュアン・オールマンを敬愛し、90年代後半にはオルタナ・カントリー・バンド、ジェラルディン・フィバーズのメンバーだったネルスは、アコギやラップ・スティールを駆使し、ルーツ指向を強めたジェフの楽曲にも馴染み、溶け込んでいる。
 ウィルコでの活躍を機に、そろそろこの56年生LA出身の奇才に注視が集まるべき時期が来たのではないだろうか。事実、07年に米国『ローリング・ストーン』誌が発表した「歴史上最も過小評価されているギタリスト」で、ネルスは第9位にランキングされている(トップ3はプリンス、カート・コベイン、ニール・ヤング)。そう、コステロトム・ウェイツやジョー・ヘンリーとの共演で何かと目立つマーク・リーボウなどと較べると、ネルスは明らかにアンダーレイテッド・ミュージシャンに甘んじている。リッキー・リー・ジョーンズのアルバムでも如実だったように、歌ものとの距離感の取り方においても、ネルスは前述のリーボウにまったくひけをとっていないというのに。
 双子の実弟アレックス・クライン(dr)と共に活動を開始した70年代、ジュリアス・ヘンフィルやティム・バーンと技を磨きあった80年代にまで遡ると、ネルスの関連作品は相当な数に登る。まず1枚という向きには09年頭にクリプトグラモフォンから出た最新ソロ作『COWARD』でのヴァーサタイルなプレイを堪能して頂くのがよいだろう。レギュラー・プロジェクトであるパワー・トリオ、ネルス・クライン・シンガーズも秀作揃いで、グレン・コッツェも参加した最新作『DRAW BREATH』(07年)が現時点での最良の成果となる。また、サーストン・ムーアとのデュオで飛ばしまくる『Pillow Wand』(97年)、サーストン、リー・ラナルド、ギフォニー・ムーアという面々でグレン・ブランカへの返答とも取れる騒音を聴かせる『FOUR GUITARS LIVE』(01年)などは、この後ネルスがソニック・ユースに正式加入していても不思議ではなかった、と実感させる仕上がり。他、近作では、巨匠アンドリュー・ヒルへの哀悼の意を示した『NEW MONASTERY』(06年)、ウォリー・シュープ(as)、クリス・コルサーノ(dr)とのパワフルなインタープレイが暴発する『IMMOLATION』(05年)も捨てがたい。更に、ミニットメンのマイク・ワット、清水ひろたかあらきゆうこジム・オルークとのセッションで、08年にライヴを行ったブラザーズ・シスターズ・アンド・ドーターも、そろそろフル・アルバムのリリースが待たれるところだ。
 『キッキング・テレヴィジョン』のスリーヴや、オフィシャル・サイトでは、ネルスの使用機材の写真が閲覧できる。時に15種類以上のエフェクターを繋ぎ合わせ、音響装置としてのギターの可能性を拡張し続けるネルスが、音の鳴りや響きに鋭敏になりつつある今のウィルコに必要不可欠な存在であることは、この写真が何より雄弁に物語っている。

最近書いたもの

あえて告知するほど色々あるわけではないのですが……。

■『ミュージック・マガジン』に五反田団といわきから来た高校生の劇評、カーキ・キングのレビュー、ブラッド・メルドーのレビューを書きました。

■『マーキー』に、相対性理論に関する論考、やくしまるえつこd.v.dのインタビュー、サカナクションのインタビュー、レビューを数本書きました。演劇連載では、劇団、本谷有希子チェルフィッチュデス電所ホナガヨウコ武蔵小金井怪談、デス電所、甘もの会について書きました。

■『レコード・コレクターズ』や『CDジャーナル』にもレビューをいくつか書いてます。

そんなところでしょうか。ワークショップ第一期、無事終わりました。最終回のゲストだった雨宮まみさん、ありがとうございます。→http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20100404

メモ

ソクーロフエルミタージュ幻想』、五反田団といわきから来た高校生『3000年前のかっこいいダンゴムシ』、岡崎藝術座『リズム三兄妹』、松江哲明あんにょん由美香』、チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』、相対性理論渋谷慶一郎、ままごと『スイングバイ』、ボクマクハリ『スリープ・インサイダー』

五反田団といわきから来た高校生『3000年前のかっこいいダンゴムシ』の感想

アンケートを出せなかったので、無理で失礼なお願いと思いながら、制作の方に渡して頂けないかとお願いをしたところ。届いているといいなあ。以下は、ごく一部だけ改訂したもの。ちゃんとした(ってなんだよ)劇評はまた別所で書くと思います。

追記:最後、2010年2月21日、と入れるべきところを、2009年2月28日、と書いて送信してしまいました。もう10年代だし! 28日は来週だし!! せっかくのラブレターが台無しだ。しかし、この作品の良さっていうのは、相対的な「良い」ではなく、絶対的な「良い」なんですよね。演劇、本数それなりに観てると、良かったとか面白かったっていうのは、相対評価になりがちなんだけど、これに関しては他との比較対象とか考えるまでもない、絶対的な良さ、だった。

いわき総合高等学校の皆様

 昨晩の公演を拝見しました。とてもとても良かったです。直後ロビーで「すごくよかった!」と声をかけることしかできず、アンケートも提出しなかったことを後悔しています。あまりにも感動したからです。というか、今もその余韻で胸がいっぱいだからです。そこで、反則技と思いながらも、制作の●●さんにお願いしてこれを書きました。皆さんの手に無事渡っているでしょうか? 

 たぶん、皆さんが思っている以上に、皆さんの演技は観た人の心を揺さぶったと思います。ステージからは見えない風景でしょうが、皆が笑い、泣き、最後にはとてもハッピーな気分になっていました。そして、終演後、あるいは観劇後ひと晩経って、思い出して笑ったり泣いたり、あとは、ちょっと切なくなったりしていると思います。少なくとも僕はそうです。そして、数日後、数ヵ月後、数年後、また思い出して泣いたり笑ったりすると思います。皆さんは今回の体験を、今後の人生の中で「よき思い出」として幾度となく反芻するでしょう。でも、それは、観た人にとってもそうなのです。

 僕は日常的に芝居を見ますが、その中でも今回の公演はスペシャルでした。他に較べてよかったとか、何番目によかった、とか、そういう問題ではありません。ほかでは見られない、他とは明らかに違う、魔法がかかっていました。……って、我ながら陳腐な言い方だと思いますが、でもそれは多くのお客さんが感じ取っていたはずです。目に見えないし、言葉になりづらいけれど、確かに魔法がありました。そして、それはご本人たちは気づいていないのかもしれないけれど、高校3年生だからこそ立ち現れる類の魔法だと思います。もちろんそれを引き出したのは前田さんの手腕なのだろうけど、でも、もともとないものは引き出せない。原石のような輝きを放っていた皆さんの演技を、なんて眩しいんだろうと思い、目を細めながら、でもまばたきはせずに、拝見しました。

 35歳のおっさんのノスタルジーだろう、といわれればそれまでかもしれません。多くのオトナにとってこういう鑑賞が感傷の対象になりやすいのも事実です。でも、それだけじゃない、というか、そういうことじゃない。ここまで心を揺さぶられたのは、前田さんはもちろんですが、皆さんが素晴らしかったからです。そして、その素晴らしさに皆さんは(おそらく)自覚的ではない。だからこそ、より素晴らしかったのだと思います。プロフェッショナルな(?)演劇を観て、そういう「素晴らしさ」に出会うことは、滅多に、というか、ほとんどありません。お客さんがたくさん入っている演劇、有名で高名な演劇を見ても得られないものを、皆さんは与えてくれました。演劇をつくること、演劇を観ることのもっとも原初的な悦びを皆さんは教えてくれたのです。

 皆さんは、授業の一環として、演劇を「教わった」という感覚なのかもしれません。が、教えられたのは、僕や僕らのほうだったのでした。なので、お礼を言いたいです。本当にありがとうございました。今抱えている感情を、整える前に、なるべくシンプルに、皆さんに宛てて率直に書きたいと思い、これを記した次第です。今頃最後の回が終わっていることかと思います。お疲れ様でした、そして、本当にありがとうございました。 

2010年2月21日 土佐有明

最近書いた原稿

今出てる
■『ミュージック・マガジン』増刊の90年代本にいろいろ寄稿しました。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3745397
■『ミュージック・マガジン』に、ダニエル・バーナード・ロメインの紹介記事、パフュームDVD、川本真琴のレビューを書きました。
■『マーキー』に、ハルカリのインタビューと、レビューを10本くらい書きました。演劇連載は、ナカゴー鎌田順也インタビューの他、松尾スズキ演出『農業少女』、チェルフィッチュの新作を紹介してます。
■『CDジャーナル』にもろもろレビューを書きました。
■『ラティーナ』にもレビューを書きました。