ツイッターは精神衛生上、毒。

秋口からずっと調子が悪い。いつも調子が悪いと言ってるじゃん、と言われるし、それはまあその通りなのだが、色々とあって、母の告別式が終わった今月初めあたりから、一度として「ゼロ」の状態に戻らない。こうやってメールやブログを書けているのはゼロに戻っている証拠なのだが、1時間くらいすると、まだどんよりしてきて、まっくら闇に呑み込まれそうになる。ただ、どの程度調子が悪いのかを、メタな自分が俯瞰して見ていて、今なすべきことを指令してくれるのは、自分のことを客観的に見られるようになった証拠でいいことだと思う。

そんな時、ツイッターはできるだけ見ないほうがいいと思った。各人の仕事状況やそれぞれがやるべきことをやっているのを見ると、おいてけぼりになった感じがいつも以上に強くなる。ひきづられて自分のペースが作れない。世の中、なんてポジティヴでアクティヴなんだろう、自分は棒立ちしているだけだと思ってしまう。皆が絶賛しているライヴや芝居を見られなかったり、皆が盛り上がっている話題のお笑い番組を見て、どこでどう笑っていいのか分からなかったりすると、余計暗くなる。ゼロに戻った時だけ、ちょこっとのぞく程度。

あとやるべきことは、昼間までには起きて日の光を浴びて、軽い運動をし、ちゃんと風呂に入って食べられるものを食べる、抱えている仕事をやる、という最低限のこと。それ以上を望んではならないし、欲張ると余計落ち込むのは分かっているのだが、その最低限がまったくままならない。芝居を見たり忘年会に行ったり、というのは諦める、というか、この感情の針がまったく触れない状態で何かに感動する、ということが不可能なのだから無理。でも、これとこれは行く、と決めたものは行ってみよう。それが何かの糸口になるかもしれない。

能動的に何かやるだけの気力や余裕はない。ダメなときはなにをやってもダメでから回る。できる範囲で外気にあたっていれば、たぶんなにかきっかけが訪れるだろう、というのが35年生きてきた中で得た法則。むろんその法則があてはまらない時もある。なにせ、なくしたものは取り戻せないし、過ぎた時間は巻き戻せないのだ(故人のことにあらず)。ただ、きっかけは、何かあると思いたいし、何がきっかけになるか分からない。