Chim↑Pomの名前がニュースで読み上げられる瞬間

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/rcc/20081024/20081024-00000006-rcc-loc_all.html

確信犯だったのではないか、という気もする。こうやって抗議が来て、メディアでとりあげらるかも、ということを織り込み済みでやったのではないか、と。映像でも分かる通り、なにせ全国放送のニュースで「チンポム」という名前がキャスターの口から発せられた、それだけでも「してやったり」だったのでは?というのはうがちすぎか。ともあれ今回の騒動、彼らのやろうとしていることの性質を鑑みると、(結果的に、であっても)決してマイナスにはならないと思うのだけど。

http://www.webdice.jp/dice/detail/1020/

追記:で、これを撮影して最終的に作品にまとめるということだったらしいのだが、その作品がどんなものだったか、がとても気になる。この手の騒動が起こると政治的な方向に議論が回収されてしまって、逆に作品の質は問われないし論じられないという倒錯が起こる。……ということを思ったのは、この前観た『靖国』が自分にはぜんぜんおもしろくなかったからだろう。おもしろくないと思ったのは、なにせあれだけ騒がれたんだからさぞかし……という無根拠な思い込みもマイナス要素として作用していたかもしれないし、作品としてこの程度なのにあんなに騒がれて結果として制作サイドには色々プラスになった側面もあるのでは?という疑問がよぎったからだと思う。

更に追記:否定的な論調として、あんなのはアートじゃない!というものが目立つのだけど、じゃあアートだったら許されるのかな、とは思ってしまう。というか、この場合のアートってどういうものを指して言っているのだろう? 例えば、SNSには「これのどこがアートなのか理解不能」「何がアートだ!」「これはアートとは言えません」等々のコメントがあるけど、そもそもChim↑Pomの誰かが「これはアートなんです!」と言っているのは、少なくとも自分は見たことも聞いたこともない。そもそも、アート=高尚なもの、という発想へのカウンターが彼らの核心にはあるのだし。しかし、アートって便利で曖昧な言葉だなあ。
「こんなのはアートじゃない!」。どこかで聞いたことある言葉だなあ、と思ったら、アレだ。「こんなのはジャズじゃない!」。「こういうのがジャズだよな」と個人的な感覚で定義や線引きをしておいて、そこからはみだしたら途端に否定してしまう、というアレ。