また連合赤軍のはなし。

鑑賞から5日経っているというのに、未だにこの映画をスクリーンで観られた僥倖をずっと噛締めています。今この時代に、しかも若松考二によって撮られるべき必然性と重みといったら、その後に観た『靖国』とはおおちがい。分厚いパンフレットで色々な人が指摘しているように、ある時代の特殊な事件を題材にしてはいても、テーマはとても普遍的なんですよね。

で、確かに彼らが行った「総括」(という名のリンチ)は非人道的きわまりないものだったし、当初の高邁な理想がいつしかどこかへ吹っ飛び、革命という目的を徐々に逸脱していく過程は観るに耐えないのだけれど、それでもあの頃こんな若者がいたことは、絶対風化させてはだめなんだよな、と強く思ったのだった。ってなんか、紋切り型の意見だけど、でも、本当にそう思ったんだよ。

あと、永田洋子役の女優の鬼気迫る演技! あれは本当にコワかった。革命闘志を自称しながらも、結局は自らの女性性を拭い去ることができず、坂井真紀演じる同志の美貌に嫉妬し、彼女の髪が長いとか化粧したとかいちゃもんつけて、粛清してしまうシーン。強烈だった。彼女だって運動家である以前に、ひとりの若者、オンナなのだということをちゃんと描いていたところに唸った。ちなみに、若松監督のトークによれば、その永田は現在(13日の時点で)危篤状態で、今日明日がヤマだとか。映画で描かれた現実は、今もなお続いているってこと。
そして、学生運動を「小学生運動」に置き換え、「給食のビュッフェ化をどう総括するのか!?」とエモジュンが生徒会長に迫る毛皮族の『暴れて嫌になる夜の連続』。単なるねたとしてこの映画を引用したのでも、パロディの材料として利用したのでもない、社会的でありながら娯楽の極点とでも言うべきこの傑作の意義ついては、もちっとふかく考えてみたいところです。