『崖の上のポニョ』雑感

以下、ごくわずかですがねたばれ含みます。

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の、竹熊さんの日記を途中まで読んでしまっていたせいか、説明不足な箇所をいちいち深読みしながら見てしまった。天地創造? 創世記? アダムとイブ? あーそのハムは禁断の果実だから食べたらダメなのに……!とか(最後のは嘘)。

とにかく物語に整合性や意味を求めて無理に“分かろう”とすると、つじつまがあわなくなって戸惑うと思う。特にオトナはそう。オトナって実年齢の問題じゃなくて、感性が大人モードの人のことね。だいたい、お母さんもそうすけもファースト・コンタクトの時点からポニョを可愛い!って受け入れてるけど、まずその時点で「え?」と思っちゃう人もいるはずで。途中、ポニョのことを「気味悪い、人面魚じゃん!」という老人がいるけど、まー、普通に考えたら確かにそうだわな(笑)。

というわけで、終始コドモ目線で描かれる作品に、あの瞬間だけオトナ目線が導入されて亀裂が入るのが可笑しかった。逆に言うと、あの場面がなかったらずいぶん映画の印象自体が変わっていた気がする。どの程度意識的にあの台詞を入れたのか、気になるところではありますね。

といいつつも、結局感動したのはCG全盛の時代に逆行したような手の込んだ映像の美しさと、MGMのミュージカルばりに豪奢な音楽だった。それだけでもう、この映画は傑作と呼んでいいんじゃないか、意味とか考えなくても、というのが結論。とにかくキャラクターが活き活きと躍動していて、ただご飯を食べているだけのシーンでも、うるっときてしまう。これは、絶対映画館で見たほうがいいなあー。

で、帰宅して朝日新聞のインタビューを読んで色々腑に落ちた。ハウルは分かりにくいと言われたから、反省で5歳の子供にわかってもらえる話を作ろうとした、らしい。5歳の子供「にも」ではなく、5歳の子供「に」というのがポイントだろう。

「5歳というのはものごとが分かっているのに、言葉にできないもどかしさを抱えている。そんな子供に最小限の言葉だけで楽しんでもらいたかった」


なるほど。なまじ言語や論理で武装することを覚えてしまったオトナより、毎日がセンス・オブ・ワンダーの連続みたいなコドモ的感性の持ち主のほうが楽しめる気はしますねー。あと希望に満ちたラストはいい。例えば生まれてくる子供がどんな障害を負っていても、世界は迷わず彼を祝福し、受け入れていこうという前向きさにも似て。

あと、繰り返しになるが音楽の使い方がうまい。インタビューにもあるとおり「最小限の言葉で楽しんでもらう」ために、登場人物の置かれている状況を音楽に雄弁に語らせてるんですよね。 例えば、津波が来るシーンなら、切迫した状況であることを伝えるために、わざとらしいくらい不穏な音楽を使っている。難しい言葉が分からない子供でも、音楽の感じでなんとなくこういうことが起こってるんだな、というのがわかるようにしてあるんですよね。そういう意味でも、完全にコドモにターゲットを絞ったつくりだと思いました。あと、魚時代のポニョは奈良美智デザインか!?と思ったのは自分だけ??