椎名林檎も観に来ていた康本雅子の感想

したの日記の後観た読んだ聴いた食べたもの、随時更新していきます! 風邪治ったのをいいことにどんどん更新。書ける時に書いとかないと。たぶん急に書かなくなりますからー。って、以下はミクシィ日記からの転載なんだが。

3月16日浅草アートスクエアで。康本さんは、大人計画の振り付けなどをやっていて、トップランナーに出たことで人気急上昇中のダンサー/振付師。美人。

結論から言うと、すごく惹きこまれるところと、白けてしまうところが半々くらいだった。で、ダンスを観てきてはじめて、その理由がちゃんと分かった。

まず、白けた、というか、生理的に受け付けなかった部分。演劇でも役者は与えられた役に「なりきる」ことが要求されるけど、今回の公演に限らず、ダンスの場合、自我を去勢されて何かに憑依されてるんじゃないかというくらい、「入り込んでる」と分かる場面が結構ある。それがとにかく苦手。見ていて恥ずかしくなってしまう。こっちはしらふなんだもん。

ダンサーは公演中に素に戻ってしまったら終わりなわけで、別人じゃないのかというくらい役に没入する。でも、こっちは完全に素で観てるわけですよね。さっきまで携帯いじっていたのが、暗転したからって急にダンサーのテンションにはついていけない。素の観客と、別人になりきった演者の溝。距離感。ああ、舞台が遠いなあと思ってしまう。それを埋めるのが想像力、というものいいにはなんか抵抗があるのだ。

奇矯な動作を延々と繰り返す、突如絶叫したり奇声をあげたりする、奇抜なメイクや衣装で堂々と登場する。日常生活でやったら白眼視されるようなことも、舞台上なら許される、というか「アリ」なことになっているわけだけど、どうもそれに違和感があるみたい。だから、いいと思ったのは、日常の所作の延長に成り立っているようなパートだった。まあ、そういう類のダンスはもうすでに沢山あるんだと思うのですが、康本さんのはやはり図抜けて独創的。オリジナル。既視感がない。

で、ダンサーが憑依した状態、これってセックスの時とまったく同じですね。特に今日は女性が男性の上にまたがったり、腰を激しく振ったり、あえぎ声を延々とあげたりしていた。こういうの、以前もいくつかのダンス公演で観た覚えがある。これがねえ、とにかく生理的にダメ。

昔、恋仲にある女性がそういう憑依系のダンスを踊るのを視たことがあったんだけど、もう耐えられなかった。つらくて。だってさ、自分とのセックスの時にだけ見せる表情とか声とかしぐさを、衆目にさらしているようなものじゃないですか。で、それを直視しなければならない私……。女の子も、呼ばないほうが良かった、と後悔していました。

たぶん、以上述べたようなことは演劇にもほぼ当てはまるわけで、なので、舞台に立ったからって急に声を張り上げたりしない演劇がすきなんだな、僕は。五反田団とかポツドールとか。あと、くだらなくてばかばかしくてあとに何も残らないようなもののほうが好きだ。その意味で、五反田団の「さようなら僕の小さな名声」と毛皮族の「遺骨のトットさん、ドブに落ちる」が今年の現時点でのベスト。やっぱ、ハイカルチャーは生理的にダメみたいです。

こういうパートはいいと思うんですよね。

清水靖晃とコラボしているのは知らなかった。そもそも、この人の振り付けって音楽ありきで始まるらしい。そこは好感持てるポイント。